お米のある日常と、当たり前のことを尊ぶ
喫禾了のコンセプトです。
このサイトは、お米にまつわることや料理、人、産地のことなどを、筆者の目線を通して文と写真で綴る、WEBブログです。
筆者は、「お米といえば」、という地域に生まれ、そこで暮らしていた10代のころまで、お米はおいしくて当然、おいしいお米が手に入るなんて普通、と思っていました。ところが、都心に暮らすようになって、それがどんなに価値のあることだったのかと気づきました。
近年、日本国内のお米需要が下がりつつあり、お米の購買量が減少傾向だといいます。お米以外にもおいしいものがたくさんありますし、仕方のないこと、でしょうか。それによって、生産量や作付面積等の制限、生産者の後継者不足など、、どんどんお米にスポットが当たることが少なくなってゆく未来が、ないともかぎらない。
「別にお米がなくっても」という意見もあるかもしれませんが、少なくとも筆者は、そうなっては困ります。そして、次世代の方々もずっと、おいしいお米を食べることができたらいいなと思います。
大きなことはできませんが、お米のある日常を綴ることで、この炊き込みご飯美味しそう! そうそうこのおかず、やっぱり炊きたて白ご飯だよね!お米からできる調味料やお酒、こだわってみよう! この作り手さん気になる!などなど小さくとも、そんな共感が生まれたらいいなと思っています。
『喫禾了』(きっかりょう)の語源について
もともとは、「喫粥了」(きっしゅくりょう)という、禅語です。
お坊様が毎朝召し上がるお粥。直訳としてはただ、「お粥を食べ終わりました」ということですが、その際には、食材に感謝をして丁寧に調理をし、礼節をもって食し、食後はきれいに片づけをする。そこから転じて、「当たり前のことを当たり前にすること、目の前のやるべきことをしっかりと行うこと」という意味があります。その粥の文字を、禾に変えました。禾は、稲穂や穀物のことです。お米にまつわることや人、土地などを大きく含むイメージです。
当たり前と思っていることは、いつも軽んじられやすく、特別感や新しさのほうが魅力的に映りがち。 ですが、当たり前のことは、大事にしないとなくなってしまうし、実は学ぶべき点や奥行きが、たくさん隠れていると思います。そういったことを尊べるのは、素敵だと思いませんか?
そんな想いがあり、喫禾了と名づけました。
喫禾了では、日常の切り取りとともに、お米にまつわるさまざまな分野の方々の取材報告もしたいと思っています。このサイトを通して、たくさんのご縁が繋がりますように。
主宰
株式会社プラスサチ
p-sachi.com