「お米チャンネル」的なものを作りたいなーと思い、始めたこのwebブログ、
『喫禾了(きっかりょう)』の由来や始めた理由などについて、書き留めておきたいと思います。
まずは筆者について少し。
大学進学をきっかけに上京し、卒業後の2000年に、あるフリーのフードコーディネーターの方の専属アシスタントにつきました。
3年後に独立して以後、レシピ開発や広告ビジュアル制作を専門として、お仕事をさせていただいています。
そもそも、「食に関係することを仕事にしよう」と思ったきっかけはなんだったかというと、
『美味しい記憶』と『幸せ』が、直結しているからかもしれないなぁと思います。
そして、その記憶とお米は密接なのです。
私が生まれ育ったのは、新潟県妙高市(旧新井市)。
豪雪地帯として知られ、米作りも盛んな土地柄です。
かなり昔の話になりますが、私の実家も、数十年前は米作り農家だったとか。
生まれるずっと前だったので、その頃のことは知りません。
ですがいろいろと名残もあり、私が生活していた当時の実家は、広い土間のある、古い家屋でした。
現在はすでに建て替わっていますが
家の中に、「ぬかくど」という、お米のもみ殻で米を炊く米炊き釜があり、
今は亡き祖母が毎朝、6:00前には米を炊き上げるのが日常でした。
炊き上がる少し前に、金属製のぬかくどのレバーをガチャガチャと動かす音が、
田舎のしんとした早朝の静かな空間に響いていた記憶です。
小さなお供え用の器にひと口分くらいのご飯を盛り、仏壇と神棚に供える。
たまに早起きをした時には、ご褒美のようにそのおこぼれを食べることができました。
「特別だよ」と祖母がくれる、炊きたてのご飯。
そのおいしさといったら、今でも記憶に鮮明に残っています。
なにしろ、ピカピカつやつやしていて、炊きたてご飯の良い香りがたちのぼっていて、
醤油をほんのちょっと、たらしただけで、ことばでは言い表せないくらい本当にとにかく美味しかった。
それを超えるご飯は、どんなお店でも、いまだ食べたことはありません。
東京で暮らす今でも、わが家では、食事の真ん中には、ご飯(お米)があって、
それをいかにおいしくいただくか、にこだわってしまいます。
子どもの頃の「おいしい記憶」というのは、影響力が深いものなんだなぁと思います。
レシピ開発や、食まわりのビジュアル制作をしていても、
やっぱり、毎日のリアルな日常の食事がおいしくて幸せを感じるような、
そんな場面をつくるお手伝いができたらいいなと、お仕事をしてきました。
あるとき、お仕事をご一緒した方が、こんな一言をおっしゃいました。
え??どういうこと??と衝撃的でした。
どうやら、今は世の中的にはお米を炊くのは敬遠されているし、それ以外の主食のほうが可能性がある、
といった主張のようでした。
その方とは別に、その後もなんとなく気になり、世の中のお米の情報を見だすと、
国内の消費量が年々減っていたり、農地の作付け面積も減っていたり、後継者不足の問題があったり。。
え??おいしいお米がすんなり手に入るのが、普通じゃなくなるかもしれない???と、危機を感じました。
少なくとも私は、おいしいお米がある日常を失いたくないし、
次世代の方々にも、その価値が伝わってゆくことを望みます。
お米そのものだけではなくて、お米を使ってできる調味料(みそ、みりん、お酢など)や、
日本酒なども大事だし。
日常は、当たり前、となりがちで、新しい情報や、非日常なシーンに意識が向くのは
しょうがないことなのかもしれないのですが、
私としてはやっぱり、日々おいしいお米が食べられる日常を大事にしたいなぁと思っています。
そんなことをコツコツと表現する場所があってもいいのかなと、このwebブログを始め、
その名前を『喫禾了(きっかりょう)』としました。
毎朝、お粥を召し上がるお坊様が、「お粥を食べ終わりました」と、
直訳ではただ、それだけのことですが、食べる準備をし、食べ終わったら当然のように器をきれいにし、
食材や作り手に感謝をする、ということを含んでいます。転じて、
当たり前のことを当たり前にすること、その場ですべきことを行うこと、という意味があります。
そういったことこそ、大事にしたいなぁと、心にすっと響いた言葉でした。
その「粥」を、「禾(か)」に変換しました。「禾(か)」は、稲穂や穀物を表しています。
そこには、米を炊いたご飯はもちろん、それを育てる土地や生産者さん、ほかにも、取り巻くさまざまな人や事柄を含めたいと思いました。
『喫禾了(きっかりょう)』とは。
お米がある食卓やシーンを切り取りながら、
日常にある『美味しい記憶』が『幸せ』とつながること、人同士のご縁を大事にすること、それを紡いでいくこと、
そういう場所に育てていきたいと思っています。